育成

 自分の意見をはっきり言える子供に育てることは大事なことです。

三歳を過ぎて、小学校に行くまでは友達をつくり遊ぶようになります。子供同士が夢中になって遊んでいる子供は、自分の意見をはっきり言える自主性や人への思いやりなどが順調に育つといわれています。

こうした意味で保育園や幼稚園時代の友達関係が、人としての人格の基盤をつくる大切な時期にあたります。この期間に培う、自主性や思いやりが、小学、中学、高校へと、生涯にわたっての大きな力になることを知らなければなりません。

コメント

(日本電産社長)

「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」この言葉は最近テレビ対談に永守重信氏(日本電産社長)が出てこられたときに聞いたのですが、「すぐやる」というようなこと当たりまえのことで、誰もがよく分っていることであります。 

しかし、言葉としては「すぐ」「必ず」「出来るまで」の三つが一つにつながっていることは、達成感があり言葉が活き活きしていると思います。 「何をしてるのか、言われたことは、すぐにやれよ」といいたくなることは、多くの人が今までに、何度も体験していることでしょう。

だが、「すぐやれ」といってるのに、すぐにやらないというこには、聞く側だけでなく、指示する側にも何等かの原因があるのだろうと思います。「すぐやれよ」「必ずやれよ」「出来るまでやるんだぞ」さらに「君なら必ずやれる」とつけ加えれば、夢があり更に楽しい言葉と決断を強く促すようになります。

このように考えると、言葉は生きものでありますから大事なことは、言葉には、物事の内容が具体的であること、言葉に魅力的な力があること、言葉に愛情や思いやりが感じられること、言葉に違和感がなく素直になれる雰囲気があること。などがあげられます。

私はいつも「今が大事」ということを座右の銘にして歩んでいます。また、人々にも「今が大事である」ことを強く言ってまいりました。「今のことが出来なくて次に何があるのか」と思うからであります。

「すぐやる」「必ずやる」「出来るまでやる」という言葉を聞いて、私は「今が大事」と人に伝えるときに、この言葉をつけ加えることを忘れていたように感じています。「今が大事」と言っているのに、なぜ、すぐにやらないのか、それは「必ずやる」「出来るまでやる」という力の入った具体的な言葉が不足していたように思っています。「出来るまでやる」とは、誰もがいう言葉です。しかし、「必ずやる」という大事な中間の言葉が省かれている場合が多いような気がします。今月はこの言葉「必ずやる」を提言いたします。

 

人間学

■人間学(二宮尊徳翁の訓えより)

『師はこういわれた。某藩の某氏が家老職にあったとき、私は礼譲・謙遜を勧めたが用いられなかった。
 
しばらくしてその職をやめさせられた。今や困窮はなはだしく、日々をしのぎかねている。某氏は、某藩の衰廃・危難のときに功績があった人だが、今日のように窮貧している。
 
これは登用されたときに、ただただ自分の分限を心得なかった過ちによる。
 
そもそも官威が盛んで富裕が思いのままになるときには、礼譲・謙遜を尽くし、官職を退いてのちは遊楽・驕奢に暮らしても害はない。
 
そういうときは少しの謗りもなく、人はその官職をねたまない。その官職に進んだときに勤苦し、退いてのち遊楽するのは、昼はに勤めて夜は休息するようなものである。
 
出世したときに富裕にまかせて遊楽・驕奢にふけり、退いて節約を守るのは、あたかも昼に休息し夜に勤苦するようなものである。

出世したときに遊楽すれば、誰もが羨み、ねたむ。雲助が思い荷を背負うのは、酒食をほしいままにするためである。
 
遊楽・驕奢をなさんがために国の重職にいる者は、雲助とさほど変わらない。重職にいる者が雲助と同じことをするならば、どうして永い平安を保てようか。退けられたのは当然で、同情するに当たらない。』 

医者の言葉

2009年4月14日のNHK番組(22時)の“プロフェショナル”に、血液外科医「大木隆生教授」昭和37年生まれの医師が出ておられた。現在では、血液外科医としての技術と人柄は、世界に優秀を誇る先生のようである。

『人を喜ばせる仕事をしたい』ということで医者を志したという!!この番組を見られた方は、手術の場面、患者の家族との対話する場面など、誰もが感動したと思う。

「任せてください。頑張りましょうね」と手術をうける患者に、優しく、強く話される言葉は強い感銘をうけた。私も胃の手術の折に「心配要らん…心配いらん・・・」と大阪労災の吉川部長先生の言葉に安心感を覚えたことを思い出した。

 

小学を読む

小学(敬身第三)
『門を出て外部の人と交わるには、大切な賓客に会うときのような敬をもち、人民を使うには大事な祭祀につかえまつるときのように気をつける。自分にされたくないことは、人にもそれを行わないようにするのが大切なことである。』

脇屋所感
外部の人と接するときの心構えを教えられています。

身近な人々と交際するときは、自分にとって最も大切な人との接待のように慎んで敬意を表わさねばならない。

さらに、多くの人々との交わりには公の事を取り扱うように気をつけることである。 また、人とつき合う中で、自分が人からされたくない行為は、人にしてはならない。このことは大切なことである。と教えられた文面です。

※注釈: 敬をもち
敬とは物を大切にすることであって、威儀を正したりすることではない。相手に対して細心の注意をはらいながら失礼なことがないかと心がけることを敬というのである。
    
『居処恭しく、事を執りて敬し、人の與に忠なるは、夷狄に之くと雖も、棄つ可からず。』
(きょしょうやうやしく、ことをとりてけいし、ひとのためにちゅうなるは、いてきにゆくといえども、すつべからず。)読み方

※注釈:
居処恭しく=いつも楽しく住んでいる所での生活は礼儀正しく丁重でなければならない
事を執り=何ごとか実務を行うこと
人のために忠=人と交わるときは真心をもって尽くし行動する
夷狄にゆく=知らない未開の土地に行く
棄つ可からず=すてないで守らねばならない 

どこで生活するにしても、恭・敬・忠の三つの精神を忘れてはならないと指摘しています。いつも生活している近隣の人々に対しては、礼儀を欠かないようにう恭しく交際することである。
  
何ごとでも、計画をして行動をするときは、細心の注意をはらって相手に迷惑が及ばないように謹みの心(敬)をもっていなければならない。
 
また、人と接するときは、どんな場合であっても、言行に嘘偽りのないようにし、真心(忠)をもって接しなければならない。
 
このように人としての毎日の生活での心構えを、恭・敬・忠の三つに要約して教えられています。

言志四録とは

『言志録』(げんしろく246条)『言志後録』(げんしこうろく255条)『言志晩録』(げんしばんろく292条)

『言志耋録』(げんしてつろく:340条)の四種類があります。42歳で起稿し82歳までの40年にわたる随想録であります。この四篇を総称して『言志四録』と名づけられています。著者は、佐藤一斎(1772年、安永元年生)で、江戸の人であります。一斎の著書はおよそ90巻といわれ,また、学んだ門人は数千人を数えるといわれています。

有名な人物では佐久間象山があり、象山の門下には勝海舟、坂本竜馬、吉田松陰、小林虎三郎などの志士が輩出し、また、吉田松蔭の門下からは、高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋などが輩出し、明治維新を形成しました。佐藤一斎の人物といいますか、その人柄は上記の関連を知れば一目瞭然であります。

著書の内容は、すべて座右の銘のようなものであります。どこを開いてもすぐに役立つといった内容のものばかりで埋め尽くされている。というのが脇屋の感想であります。

私は講談社が発刊している文庫本を四冊購入して20年になります。判断に困ったとき、行動の良否を見極めるときなどには、菜根譚の本と共に、必ず言志四録の本を開いて確認をしてきました。

今では仏教哲学と同じようにこの哲理が心身に染みついています。これが毎日の生活の中でどれほどに役立ったことか計り知れないものがあります。

 

随筆

海水の入った桶を天秤棒の両方にかけ、肩で担って塩田に備え付けられた大きな桶に注ぐ、この作業を何回も繰り返して桶に海水を満たす。
  
写真は、溜めおいた海水をそれ用の卵型のような桶で汲んで塩田に散水している風景を前田氏が撮影したものである。
  
説明書によると『「揚げ浜式製塩法」といって塩田に桶で運んだ海水をまき、塩分を含んだ砂を集めて、箱の中に入れます。その上から海水を流しこみ、濃い海水を取り出し、釜で炊き煮詰めて塩をとる製塩技術です。

この作業は大変な重労働で、まさに手塩にかける〝塩〟の語源もこれより発生したものと思われますとあります。
 
ここ能登半島での「揚げ浜塩田」の製法による塩作りの歴史は古く、八世紀頃より行われていたと伝えられています。現在でも、ここ珠洲市の仁江清水海岸では今も行われていて、日本では唯一の先の製法によって塩作りが続けられています。
 
そうした説明書を読みながら、目の当たりにする塩田風景の原始的な作業が、今も残っていることに感動を憶えた。

その隣には作業場や資料館があり塩を焚く釜土が据えられていたり、作業を体験することができる塩田も設置されていて、この日も体験をしている人たちがいた。
 
ここを出て海岸通りを走ると「千枚田ポケットパーク」という所があり車をとめた。案内板を見ると「奥能登の最高峰である高州山の裾野に沿って、海岸沿いに小さな水田が階段状に無数に広がる。その数二千を超える」と案内があります。
 
一枚あたりの平均面積は畳約三枚分と驚くほど小さいのが特徴で、田植えのときは機械などが使えないために、田植え作業はすべて手作業という。

この高台から海岸に広がる「白米千枚田」は今実りの最中であるが、九月に入れば金色のように稲穂が垂れ下がる。と、風景を思い浮かべた。

菜根譚

菜根譚(183)

「おのれの心を欺かない、人の情けに頼らない、物をみだりに費やさない。この三つを守ることで天地のためにはその心にかない、万民のためにはその生活を安定し、子孫のためには福を作り出しておくことができる。」 

 

守ること(脇屋所感)

一、欺かないとは、約束を守ることである。

二、頼らないとは、むやみに人をあてにしないことである。

三、費やさないとは、物事は八部で止めるて二部は残しておくことである。

この三か条を常にしっかり守っていれば天地自然の道理に反することがないのでお互いに争いが起こることもない。

また、ムリがないので自然と生活の安定につながっていく。このようにして、よい習慣を代々に伝えていけば、自然と後継者たちも、また、善いことが遺せることになる。