■人間学(二宮尊徳翁の訓えより)
『師はこういわれた。某藩の某氏が家老職にあったとき、私は礼譲・謙遜を勧めたが用いられなかった。
しばらくしてその職をやめさせられた。今や困窮はなはだしく、日々をしのぎかねている。某氏は、某藩の衰廃・危難のときに功績があった人だが、今日のように窮貧している。
これは登用されたときに、ただただ自分の分限を心得なかった過ちによる。
そもそも官威が盛んで富裕が思いのままになるときには、礼譲・謙遜を尽くし、官職を退いてのちは遊楽・驕奢に暮らしても害はない。
そういうときは少しの謗りもなく、人はその官職をねたまない。その官職に進んだときに勤苦し、退いてのち遊楽するのは、昼はに勤めて夜は休息するようなものである。
出世したときに富裕にまかせて遊楽・驕奢にふけり、退いて節約を守るのは、あたかも昼に休息し夜に勤苦するようなものである。
出世したときに遊楽すれば、誰もが羨み、ねたむ。雲助が思い荷を背負うのは、酒食をほしいままにするためである。
遊楽・驕奢をなさんがために国の重職にいる者は、雲助とさほど変わらない。重職にいる者が雲助と同じことをするならば、どうして永い平安を保てようか。退けられたのは当然で、同情するに当たらない。』