人道(1)修身

「修 身」(実践して修める)

淮南子『謬称訓』(びゅうしょう)

「近く(一身の修養)をす[捨てる]ておいて、遠く[人民の治化]をもとめても、先はまっ暗だ」とあります。自分が改善できていないのに、人々が自分に従ってくれると思ってはいけない。そんな心がけでは、自分の先々の将来性などはあてにならない。と、戒められた言葉です。

また、「善いことを耳に入れるのは容易だが、それによって身を正すということはむつかしい。」と戒めがあります。両親・先生・先輩から、毎日のように新しい智識を増やしています。また、テレビやネット・書籍からも新智識を多く学んでいます。でも、実行に移さないと、意味がないどころか役に立ちません。

「これは良い」と思うことは、1ヶ月に一つでもよいから取り入れて実行してみることです。1年で12の新しいことが取り入れることになります。大きな前進ではないでしょうか。私も、テレビを通じて健康な食材や運動を学んでいます。15年続けている食材と運動があります、だから、今も元気であると感謝しています。

また、「勇気のない者は、はじめからこわがるのではない、困難にぶつかったときに、身の守りを失うのだ。貪欲なる者も、はじめから欲ばりではない、利得を目の前にして、その害(ひど)さを忘れてしまうのだ。」

困難にぶち当たったときに、自分が事に耐えて辛抱できないのは勇気がないからであります。また、「金さえあれば」「儲かりさえすれば」と金銭欲だけが強いのは、真の金銭の利害関係を知らないからか、知っていても貪欲(分限を超えた欲望)が頭を持ち上げるかのどちらかである。と戒められた文面です。

金銭に対する修身は最も大事なことであり、最もむつかしい修身かもしれません。しかし、ここ一番の時の投資と行動ができないと、一生チャンスを逃がしてしまいます。そのためには、常日頃から智識をひろめ、行動力を持って精神を鍛えて修身しておかないと、正しい決断はできません。

 

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