人道(2)教化

「教 化」(教え従わせて感化させる)

淮南子『主術訓』に「民は上の言葉によらず、行いにより教化される。」とあります。

言葉だけで人を真に感化させることはできません。人は、正しい行動を観て、それに従い共感し感化されるのです。

押し売りのように、言葉だけ聞いて、その言葉だけを信じて行動すると、結果、失敗となることが多いのが現実です。

言葉を聞いただけで慌てて行動してはいけません。その人の現実を知り、行動の実場を観て、あるいわ現物の実際を体感して、共感できれば、それから後に行動に移すことが大切です。

また、「琴瑟(きんしつ)の表わす音に人の哀楽をかきたてる力があるのに、法による賞罰に風俗を改める力がないのは、そこに誠の心が籠らぬ故である。」とあります。

音楽を聴いていると、人々は心の底から悲しみや楽しさを感じ感動させられます。しかし、法律で書いてある「それは、してはいけない」という文面を読んでも、例えば、飲酒運転や駐車違反のように、それになかなか従わないのは、文字には「誠の心が感じない」からであります。

 

人と語り合う時は、誠の心をもって情熱を傾けて話さないと、人を共感させ感動させ納得させることはできません。人を納得させられないのは、誠の心と行動力が不足しているからである、といえます。

だから、人を「教化」(育成・教育)しようと思えば、自分自身が行動力を強化することが大事です。“論より証拠”といわれるように、先ず、自らが実践してその範を示すことが早道であります。

 

自分が出来ないこと、していないことを人に言っても、人は本心から従いません。こうしたことは時代や年齢に関係なく古今東西不変の理であって変わるものではありません。

上司や親、または専門職による、ただ権力だけによって「しなさい」と号令して、たとえ「はい」といって行動したとしても、それは本物でない場合が多いでしょう。「教化」とは、心から共感し感化させなければ、真に役に立つことにはならないものです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA