道学(1)道理

道理とは、広辞苑によると、「物事がそうあるべき理義」「すじみち」「ことわり」「人が行うべき道」とあります。すなわち物事には「これは、かくあるべきだ」という基本的なすじみちがあるということです。

社会には政治界・経済界・各事業界・各組織界・各スポーツ界・各家庭界・人間界と、それぞれの世界があり、その各界にはそれぞれの規律・決め事・約束ごとなどが存在しています。
 
大きな枠組みには政治が国を治めるために、上記の七つの各界のすべてに「法令」がしかれています。法令を犯すと罪になり、そうした罰則規定に従って、社会秩序や人間の権利と尊厳など、国家の治安が守られています。これらはすべて、先輩たちが長い歴史の中でつくり上げてきた規律でありますが、これ等も「道理」には違いありません。この道理は知ると知らざるに関わらず、その道理に違反すると警察や裁判所で厳として裁かれることになります。こうした国家の法律は社会的道理であります。この道理は目に見えた誰が見ても判断できる道理であり、それに違反すると犯罪行為となります。
 
私が道学でとりあげている「道理」とは、法律で裁くことができない、「人としては、かくあるべきではないのか」という道理のことであります。所謂、日常の仕事や生活で発生する行為のことであります。
 
言葉をかえると、歴史を通じて先人たちが築いてきた、幸せになるための道理、また、例えば、近江商人が残した事業者としての道理、さらには世界の英雄が残した人間完成への道理など、私たちが、成功・幸福の文字を実現させるための「道理」のことであります。
 
道理を身近な問題で考えて見ましょう。例えば「おはよう」と元気に大きな声で挨拶ができない子どもがいる。何故「おはよう」がいえないのかと思う、学校でも社会でも「おはよう」と、明るく、元気よく、楽しく言えない人がいるのはどうしてかと考える。
 
その答えは簡単である。家庭で両親が明るく元気よく「おはよう」と言っていれば子どもたちも自然とそのようになって行くものであります。また、学校でも、授業がはじまる前の第一声の「おはよう」を元気に、明るくと、「おはようとは、かくあるべき」だという姿を、毎日教えていれば子どもたちは、そうした習慣性が自然と養われることになるでしょう。
 
道理を学ぶということは、こうした身近な日常生活から実践することが大事です。先日、小学生が市立の中学校に入学した子どもの家庭環境をテレビで或る先生が発表されていた。優秀な児童の家庭環境は、自分の個室では勉強していない。リビングの食卓で勉強している児童が多いという。調査の結果200人中180人がリビングで勉強していたという。残りの20人は部屋の扉を開けっ放しにして勉強していたというのが調査の結果であった。
 
子どもたちのそうした理由は、家族の声を聞きながら学習をしていると安心できる。親がそばに居ると集中できる。というのが子どもたちの答えでありました。
 
2007年に入って、政府は、小学校の教科に「道徳」を設け、中・高校では「人間」か「人生」という教科を設けると発表をした。青少年の犯罪が毎年増え続け、子どもたちのモラルが大きな社会問題となり、「いじめ」や子どもの自殺行為など憂慮することがあまりにも多いことに教育問題の改善の意志のあらわれといえます。
 
「道理のさだめに従う代わりに己の能力のみを頼るならば、行き詰まりは必定だ。さてこそ、才智は天下を治めるに足らぬ。」、とあるように、道理に従わないで、自己中心に毎日過ごしていると、事も行き詰まって破滅の方向に向かうことが多くなります。
 
正しい「道理」を確り身につけなければ、幸せ、達成、満足にはなりません。このことを厳しく肝に命じて人生を楽しいものにしなければならない。

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