人間学

『よく自戒して下流にいてはいけない』

師はこういわれた。子貢の言に、「紂王の不善もこれほどひどいわけではない。だから、君子は下流にいるのを憎むのだ。天下の悪がみなその一身に帰してしまうからだ」とある。

「下流にいる」とは、心の下がった者とともにいることをいう。そもそも紂王も天子の友とすべき者、すなわち上流の人のみを友としていれば、国を失い悪名をはせることもなかっただろうに、婦女子や心がねじけている者のみを友としたために、国は亡び、悪名がその身に帰したのである。

これはただ紂王だけがそうなのではない。人々はみな同じである。つねに太鼓持ちや三味線引きなどとばかに交わっていれば、たちまち滅亡にいたることは間違いない。

それもごもっとも、これもごもっともとへつらう者とばかり交わっていれば、正宗の名刀といえども、腐れて用に立たないようになろう。

子貢はさすが孔子の門人のなかでも高弟である。紂の不善もこれほどひどいわけではないといって、この故に君子は下流にいることを憎むのである。と教えたのだ。 必ずしも紂の不善も後世に伝わるほどひどかったのではあるまい。お前たちも、よく自戒して下流にいてはいけない。

 

※脇屋注釈 

下流とは、立場の上下とか貧富のことではありません。毎日の生活や仕事をする中で行動を起こすとき、道理に叶った理念をもって、正しい立居振舞いをしているかということで、いいかえると社会常識があるか、無いかということあります。

社会常識のない人と付き合っていては、自分の成長はありませんよ・・・と自戒を促された文面であります。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA