貝原益軒(養生訓より)
『五 思』
ものを食べるときに考えなければならないことが五つある。それを五思という。
一つは、この食は誰から与えられたのかを思わなければならない。幼いときは父によって与えられ(中略)兄弟、親戚、あるいは他人から養われることもあろう…その恵を忘れてはならない。
二つは、この食は農民の苦労によって作り出されたことを思わなければならない。忘却してはならない。自分で耕作しないで、安楽にしていながら養いを受けることができる。その楽しみを思わなければならない。
三つは、自分に才能も備わった徳もなく、さらには正しい行いもなく、君主を助け、人民を治める功労もないのに、こうした美味しいものを食べることができるのは、ひどく幸せであると思わなければならない。
四つは、世間には自分より貧しいひとが多い。その貧乏な人びとは糟や糠でも有難く食べている。ときにはそれすら食べられずに飢え死にする者もいる。自分は上等なおいしい食事を十分に食べて飢餓の心配はない。これは大きな幸福というべきであろう。
五つは、大昔はまだ五穀(米、麦、粟、豆、黍)はとれず、草木の実と根や葉を食べながら餓えをまぬれていた。そののち、ようやく五穀がとれるようになっても、まだ火を用いて食事を調理する方法を知らなかった。釜や甑(のちの蒸篭)もなく、食べ物を煮て食べなかった。生でかんで食べたので、味もなく胃腸をそこなうこともあったのであろう。
いまは白い飯を軟らかく煮て、十分に食べ、しかも吸い物があり、惣菜があって朝夕の二回にわたって十分に食べている。そのうえ酒があって心を楽しませ、気血をたすけている。
朝食や夕食をするたびに、この五思の中の一つでも二つでもよいから、かわるがわる思い起こして忘れてはならない。そうすれば、日々の楽しみもその中にあることに気づくであろう。これは私の私見(臆説)である。ただここに記したまでである。