小学をまなぶ

陳忠粛公の語に、小学(嘉言第五)より

「学問に志す少年は、まず人間の上等と下等とを区別し、何が最高の上等の人、すなわち聖人賢者のすることか、何が最下の下等の人、すなわち下愚のすることであるかを見きわめて、自己の中にある下等の劣悪な要素を取り去り、善い要素を取り入れていかなければならない。これが少年の最も先に心がけることである。 

このように志を高くもち、上等の人のやり方を学べば上等の人に近づくが、もし志を高くもたないなら、平凡なつまらないことしか学べない。すなわちこのような少年は話が顔回や孟子のこととなると、柄でもないことであるとしりごみし、自分のような少年に、どうして顔子・孟子のような大賢人を学ぶことができるものかと考える。

このようなものには、上等の人のことは話しても駄目である。先生や徳行のすぐれた人々はこれを相手としない。これらの人々が相手としてくれなければ、相手になるのは、下等の人だけとなる。下等の人は発言に忠信を欠き、行為に篤敬がない。過っても悔いることができず、またそれを率直に改めることができない。これらの下等の人を相手とし、下等のことばと下等のことの中にいるのは、家の中にすわり、その周囲をみな堀や壁で取り囲まれたのと同じで、下等のことの外は何も分らない。目を開き、心を明らかにしたいと思ったとしてもできる筈がない、とある。

 

※注:

上等=上の等級のこと、最もよいこと、を意味しているのであって、貧富の差を言ってるのではない

下等=段階が低いこと、いやしいこと、を意味しているのであって、貧富の差を言ってるのではない

 

※脇屋釈

『朱に染まれば紅くなる』という格言があるように、人間は、関る相手次第でどのようにも変化してゆくものである。人柄をみるときは、「その人が付き合っている知人や友人を見れば大体の判断がつく」

と云われているように、子供の成長はその友達を見る。事業の成長はトップの付き合う相手で決まる。といっても過言ではない。

 

随筆

「トマト家族谷町店」オープンを待つ

 

谷町七丁目交差点に、九階建の谷町第3ビルという建物がある。一階から三階までは五十の事務所が雑居していて、4階から九階までは一般住居である。私の事務所はこの二階にあって平成14年3月1日に来たので、丁度、満7年になる。この間には「本社は東京なんです」といっていた企業が倒産したり、また、入居したり退居したり、7年の間には色々と変化があった。

昨年来より社会情勢が厳しいとはいえコツコツと分相応に努力して積上げている企業は強い。隣り合わせに会計事務所がある。よく廊下ですれ違う「日曜日でも大概勤務しておられますね」と聞くと「休みでも交代で誰かが出るようになっているんです」という、これも企業努力である。

 

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ビルの一階の角に溶接工場があったが4月に閉店となり、その後に、6月中頃にオープンするということで、今、内装工事を急ピッチにすすめている会社(㈱大国フーズ)がある。本社は生野区で従業員75名と聞いている。最近は富田林の方面で農耕業をして、新鮮な野菜づくりも始めたというから時代先取り方の企業である。

大阪玉造の商店街にも有機栽培で収穫された野菜を販売する店舗を二年前にオープンしている。目的は、消費者と直接触れ合って健康野菜の大切さを知ってもらうこと…という。

6月オープンの谷町店もきっと消費者の心をつかむことだろう。どんなお店になるのかが楽しみである。

すでに横側のウインド下には『トマト』の図柄が張られている。そう言えば、玉造のお店を訪れたとき、社長夫人にその場で、トマトをミキサーにかけ頂いたジュースの美味かったこと、「普通のトマトとは違いますねー」と思わず言葉にでたことを思い出した…またその説明もいただいた…この店はどんなになるのか…きっとこのビルが蘇るぐらいに楽しいお店に成長する……と願いながら開店を待っている一人である。

 

菜根譚

菜根譚(197引用)

『倹約はたしかに美徳ではあるが、度を過ごすとけちになり、卑しくなって、かえって正道を損なう結果になる。

また、謙譲は良い行為ではあるが度をすごすとばかていねいになり、慎みすぎて卑屈になって、たいてい何かこんたんのある心から出ている。』

 

「分相応・不相応」  解説:脇屋

千円しかないのに、千円以上の物をほしがる。これが「分不相応」の「度」が過 ぎるということである。

『分限を知れ』という戒めがある。自分の限界を知ることは、重要なことである。

事業であれば、経営能力の限界点、それを補うのは側近の人材である。次に財力の限界点、それを補うのは銀行などの経済関係の信用度である。また、事業の拡大は、対外的な人脈及び社員も含めて数よりもその質である。ゆめゆめ、自分ひとりの能力を過度すると失敗となる。

 

育成

『子供たちに必要なのは、気持ちが安定し、心地よさを感じるだけの自分の居場所です。それがあって初めて「何か勉強がおもしろそうだな」という知的好奇心が生れてくる。』
(元教諭橘田重男の言葉)

この先生は今は大学の専任講師として活躍されていますが、小学校時代の経験の中で指摘されている問題です。

これと同じことで、家庭ではどうですか、子供の楽しい居場所が自然にできているだろうか、を常に考えながら家庭教育につとめて、常識人としての『しつけ』を養わせることが親の責務であると思っています。

 

六月の心がけ

 “毎日同じことを繰返すのは  それがたやすいようで  難所なのである ”        脇屋よしすけ

 

六月の干支は、庚午(かのえ・うま)であります。「庚」(こう)には三つの意味があります。

第一は、「継承と継続」ということで、

第二は、「償う」という意味であります。

第三には、“庚は更なりで物事を変更する”と易経にあり、即ち、「更新」という意味であります。

このように庚には三つの意味をもっています。

 

庚について易経を読んで、もう少し詳しく説明をいたしますと、『巽の九五に』「中道を守っていれば後悔することなく、何事もうまくゆかないことはない。初はよくなくても、終りは必ずよく収まるのである。」と教えられています。

その方法として『先庚三日、後庚三日、吉』を教えています。その意味は、例えば今日が6月5日とし、その5日を中心として6月2日が先の三日前にあたり、6月8日が後の三日後にあたります。物事を実行する場合は、実施する日を中心として、その前後についてよく研究協議して事を進めるのが大事であると教えられています。このことことを『先庚三日、後庚三日、吉』といいます。

私が二十年前から開発し教えている3・7・10の波動はこのことであります。

スレートのに考えますと、5日に事を起こすときは、三日後の8日目は大丈夫か、七日後の11日目はどうなのかを検討し、更に、初から数えて十日目の14日は大丈夫か、と、慎重に事を進めます。これが『先庚三日、後庚三日吉』であり「中道」の進め方であります。

更に拡大解釈をして、三ヵ月後、七ヶ月後、十ヵ月後と、応用してゆきます。更に、三年後、七年後、十年後と大計を立てることになります。

この小計・中計・大計を達成させるには、最初の十日間の計画行動が最も大事になります。スポーツでも基礎が確りしていないと大きな成長は望めないように、何ごとも最初が肝心であります。

六月は、是非この3・7・10の十日間の行動に重点をおいて実行して下さい。その十日間を積み重ねることができれば、まずは三ヵ月後に「良かった」という答えが得られます。更に十ヵ月後は「本当に良かった」と実感できます。また、付加価値として先見性も育つて行くことになります。