小学を学ぶ

小学に学ぶ (中国古書)

 

馬援の兄の子の馬厳・馬敦の二人は、二人とも好んで政事の是非を論じ、他人の過失を譏り、また軽薄で豪気をたっとぶ人々と交わった。

馬援が交跡に遠征中、この子供たちを戒めてよこした手紙に次のようにある。

自分はお前たちが他人の過失を口にしないようにと希望する。他人が父母の名を呼ぶのを聞くのは仕方がないが、自分ではこれを口にすることができないように、人の過失を聞いても絶対に口にしないことにしてもらいたい。

私は、人の短所をかれこれ言い、軽々しく政事や国法の是非を口にするのは大嫌いだ。若し子孫にそのようなことをするものがあると聞くくらいなら、死んだ方がよいと思っている。

あの竜伯高は、重々しい人で注意深く、妄言を発せず、謙遜で放縦でなく、浪費癖がなく、金銭にきれいで、事をなすのに公明とまことに威風堂々たる君子である。私はその人となりを愛しかつ重んじ、お前たちに伯高のようであって欲しいと念じている。

又あの杜季良も豪傑である。彼は豪気で狭骨に富み、自己の利害を顧みずに人の事に尽くし、人の憂いをわがことと憂い、人の楽しみをわがことと楽しみ、清潔な人とも、そうでない人とも、皆よく交わっている。彼が父の喪に客を招いた時には、数郡の人が皆来会した。自分は彼を愛重する。しかしお前たちには季良のまねをしてもらいたくない。

というのは、伯高のまねをすれば、伯高ほどにはならなくとも、謹み深い人にはなれる。『鵠(白鳥)を雕れば失敗しても、アヒルには似る』といわれているように、大体似通ったものが出来るだろうが、季良のまねをして失敗すると、天下一の軽薄者となりかねない。『虎の画はしくじると狗になる』といわれるように、似ても似つかないものになる。季良を学ぶことは、むつかしく、危険であるからだ。」

 

※ 竜伯高=人名   杜季良=人名

 

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