蜀の先生がもう駄目だと知った時、その子の後主に勅した言葉に、
①「悪い事は小さなことであるからとて、してはならない。善い事は小さなことだからといって、それをしないようなことがあってはならない」とある。
諸葛孔明がその子を戒めた手紙に、
②「君子は、平静をもってその身を修め、倹素をもってその徳を養うのである。倹素でなければ、欲望が多く、心を淡泊さを失い、君子たる志を明らかに保つことができないし、心身の平静を失っては、遠大な事業を成し遂げることはできない。人は才能を学問によって磨かなければならず、学問には心の平静が必要であり、学問はそれによってのみ成就する。もし学問を怠り、心の落ち着きと平穏さを欠くならば、どうして、精妙な道理をきわめ、性格をりっぱにつくりあげることができよう。かくて、何一つ成しとげないうちに、いつしか年を取り、学問事業への意欲も年々に衰え、しまいには枯れ果てた一老骨となり、貧相な家屋にくすぶって、悲しみ嘆いてみたとて、間に合うものではない」とある。
※脇屋所見
「これ位のことは…」と思って、些細なことを見逃したり、見捨てたりしていると、やがては物事の崩壊につながる。善・悪の小さい事ほど見え難いので疎かにしてはならないことを①の文面は戒めています。 ②の文面では、倹素、即ち、「倹約」「質素」に重点をおいて行動をしないと、大事業を達成させることはできないことを強く強調している。しかし、現在は生活上では平等になり、倹素の境界線が不明瞭な気がします。
しかし、考えなければならないことは、分相応ということである。家庭生活も、会社運営も人・モノ・金・に対して、自己の器の分限とそのバランスをよく弁えて事をすすめないと、物事は成功しません。