日常生活の中で、刻々と常に変化がおこっています。考えてもいなかったこと、思いもよらない出来事が色々形を変えて次々と発生いたします。そのとき、人々はどれだけ正しく道理に適合した思考と行動力ができるのか、は、大事な問題であります。そのときの思考と行動如何によって、その結果に善悪の大きな相違が待ちうけています。「よかった」「大変なことになった」という二者が必ず待っています。それは、踏み出す一歩によって結果が変わることになります。
王陽明は、「静かなときはよい心がけでいるように思われるのに、何か事に出くわすと、それが変わってくるのは何故か」の問いに「それは静養を知るだけで、克己の修行をしないからだ。そんな風であれば、事に臨んだときに転倒する。だから事上に錬磨してはじめて安住し、静時にも安定し、動時にも安定するようになるのだ。」とのべています。
「道学」とは正しい知識を正しく実践するということですから、毎日の行動変化の中で、どれほど物ごとを正しく判断ができて、正しく行動することができるか。しかもそれが、どれだけ習慣づけられているかということであります。そのためには、日頃から正しい道理による行動力が大事となります。
淮南子「詮言訓」に
「(矩・く)物差しが正しくなければ、方形をつくることはできない。(規・き)コンパスが正しくなければ、円形をつくることはできぬ。一身は、万事の規であり、矩である。自己を枉(ま)げていて、他人を正すことができたとは、未だかって聞いたためしがない」とあるように、「道学」とは、思考するとき、行動するときは、「正しい物差しで、物ごとを判断して、その後に行動しなさい」と、大きな声で叫んでいるのが道学であります。また、「道学」とは、「自分の考え方を優先して行動してはいけない」、といことを警鐘している言葉でもあります。