言志四録に
「学問を始めるには、必ず立派な人物になろうと志をたて、それから学問をすることである。そうでなくて、ただいたずらに、見聞を広め、智識を増やすためにのみ学問をしていると、その結果は、傲慢な人間になったり、小賢く悪巧みをするような人間になる心配がある」。と戒められています。
何事でもそうですが、行動を起こすときは「何のために」、という目的をはっきりさせっておくことは重要なことです。目的が明確でないと、その時々で心が変わることがあるからよくありません。
学問も「何の目的のために学ぶのか」と、その志をしっかり立てることが大事です。学生たちも「進学するために」と、その目的意識が明確である学生ほど、進学率が高いのではないでしょうか。
子どもが生れると、とくに母親は、色々な本を求めて育児の勉強をはじめます。「元気な立派な子どもに育てたい」、という目的があるからです。その目的達成には少々の犠牲がともなっても進めていきます。
母親がこうした目的がもてるのは、子どもの育成という意志と自覚がしっかりしているからであります。学ぶということは、こうした善なる目的があれば学問の価値は大いに役立つことになります。
言志四録に
「学問する効験は、人の気質を変えて良くすることにある。そしてそれを実行する元をなすものは立志にほかならない」とあります。
学問をする効果は、「人の気質を変えて、良くすることにある」、と、あるように。普通、気質なんて、そんな簡単に変わるものではない。しかし、その気質が学問を深めることで変えて良くなる。と、しています。
学問の「ききめ」はそれほど大きな力を備え秘めています。次に、その学んだことを実行する力となるのは、「立志にほかならない」と断言されています。だから、自分自身の「意志」を確立した上で「目的」を明確にすることが学問を進めるための大事な要であります。
学問の目的は、学生時代のことだけではありません。自分の気質を如何なる場合においても、変化し順応できる大きな人間性を養うことにあります。人間の道、商買の道、事業の道、を踏み誤らないように良き道を学ぶことが学問であります。しかし、学んだことを実行しなければ何の価値もありません。そこで、実行するためには「学ぶための立志」をはっきりさせる事が重要となります。