『知らず」という言葉の意味』
師はこういわれた。『論語』には、孔子に質問すると、孔子が「知らず」と答えていることがしばしばある。これは知らないのではない。教えるべき場合でないときと、教えても益がないときがあるからである。今日、金持ちの家に借金を申し込むと、先方が「折あしく持ちあわせがありません」というのと同じである。「知らず」ということに大きな味わいがある。よく味わってその意味を理解すべきだ。
『理屈に合わないのが真理』
師はこういわれた。哀公が孔子の弟子の有若に、「飢饉で国の費用が不足だが、どうしたらよかろうか」と尋ねた。有若は「どうして十分の一の税法をなされないのですか」と答えた。これはおもしろい道理である。
私はいつもこういって人を諭している。一日に十銭取って足りなければ九銭取るがよい。九銭取って足りなければ八銭を取れ、と。人の身代は多く取ればますます不足が生じ、少なく取っても不足はないものである。これは理屈に合わないが真理だ。
『大極・無極の論』
師はこういわれた。儒教の大極・無極の論がある。思慮の及ぶのを大極、思慮の及ばないのを無極といっただけだ。思慮が及ばないからといって無とはいえない。遠海に波なし、遠山に木なしといっても、ないわけではない。自分の眼力が及ばないだけのことで、これと同じである。