「人間情報」カテゴリーアーカイブ

随筆

「トマト家族谷町店」オープンを待つ

 

谷町七丁目交差点に、九階建の谷町第3ビルという建物がある。一階から三階までは五十の事務所が雑居していて、4階から九階までは一般住居である。私の事務所はこの二階にあって平成14年3月1日に来たので、丁度、満7年になる。この間には「本社は東京なんです」といっていた企業が倒産したり、また、入居したり退居したり、7年の間には色々と変化があった。

昨年来より社会情勢が厳しいとはいえコツコツと分相応に努力して積上げている企業は強い。隣り合わせに会計事務所がある。よく廊下ですれ違う「日曜日でも大概勤務しておられますね」と聞くと「休みでも交代で誰かが出るようになっているんです」という、これも企業努力である。

 

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ビルの一階の角に溶接工場があったが4月に閉店となり、その後に、6月中頃にオープンするということで、今、内装工事を急ピッチにすすめている会社(㈱大国フーズ)がある。本社は生野区で従業員75名と聞いている。最近は富田林の方面で農耕業をして、新鮮な野菜づくりも始めたというから時代先取り方の企業である。

大阪玉造の商店街にも有機栽培で収穫された野菜を販売する店舗を二年前にオープンしている。目的は、消費者と直接触れ合って健康野菜の大切さを知ってもらうこと…という。

6月オープンの谷町店もきっと消費者の心をつかむことだろう。どんなお店になるのかが楽しみである。

すでに横側のウインド下には『トマト』の図柄が張られている。そう言えば、玉造のお店を訪れたとき、社長夫人にその場で、トマトをミキサーにかけ頂いたジュースの美味かったこと、「普通のトマトとは違いますねー」と思わず言葉にでたことを思い出した…またその説明もいただいた…この店はどんなになるのか…きっとこのビルが蘇るぐらいに楽しいお店に成長する……と願いながら開店を待っている一人である。

 

菜根譚

菜根譚(197引用)

『倹約はたしかに美徳ではあるが、度を過ごすとけちになり、卑しくなって、かえって正道を損なう結果になる。

また、謙譲は良い行為ではあるが度をすごすとばかていねいになり、慎みすぎて卑屈になって、たいてい何かこんたんのある心から出ている。』

 

「分相応・不相応」  解説:脇屋

千円しかないのに、千円以上の物をほしがる。これが「分不相応」の「度」が過 ぎるということである。

『分限を知れ』という戒めがある。自分の限界を知ることは、重要なことである。

事業であれば、経営能力の限界点、それを補うのは側近の人材である。次に財力の限界点、それを補うのは銀行などの経済関係の信用度である。また、事業の拡大は、対外的な人脈及び社員も含めて数よりもその質である。ゆめゆめ、自分ひとりの能力を過度すると失敗となる。

 

育成

『子供たちに必要なのは、気持ちが安定し、心地よさを感じるだけの自分の居場所です。それがあって初めて「何か勉強がおもしろそうだな」という知的好奇心が生れてくる。』
(元教諭橘田重男の言葉)

この先生は今は大学の専任講師として活躍されていますが、小学校時代の経験の中で指摘されている問題です。

これと同じことで、家庭ではどうですか、子供の楽しい居場所が自然にできているだろうか、を常に考えながら家庭教育につとめて、常識人としての『しつけ』を養わせることが親の責務であると思っています。

 

六月の心がけ

 “毎日同じことを繰返すのは  それがたやすいようで  難所なのである ”        脇屋よしすけ

 

六月の干支は、庚午(かのえ・うま)であります。「庚」(こう)には三つの意味があります。

第一は、「継承と継続」ということで、

第二は、「償う」という意味であります。

第三には、“庚は更なりで物事を変更する”と易経にあり、即ち、「更新」という意味であります。

このように庚には三つの意味をもっています。

 

庚について易経を読んで、もう少し詳しく説明をいたしますと、『巽の九五に』「中道を守っていれば後悔することなく、何事もうまくゆかないことはない。初はよくなくても、終りは必ずよく収まるのである。」と教えられています。

その方法として『先庚三日、後庚三日、吉』を教えています。その意味は、例えば今日が6月5日とし、その5日を中心として6月2日が先の三日前にあたり、6月8日が後の三日後にあたります。物事を実行する場合は、実施する日を中心として、その前後についてよく研究協議して事を進めるのが大事であると教えられています。このことことを『先庚三日、後庚三日、吉』といいます。

私が二十年前から開発し教えている3・7・10の波動はこのことであります。

スレートのに考えますと、5日に事を起こすときは、三日後の8日目は大丈夫か、七日後の11日目はどうなのかを検討し、更に、初から数えて十日目の14日は大丈夫か、と、慎重に事を進めます。これが『先庚三日、後庚三日吉』であり「中道」の進め方であります。

更に拡大解釈をして、三ヵ月後、七ヶ月後、十ヵ月後と、応用してゆきます。更に、三年後、七年後、十年後と大計を立てることになります。

この小計・中計・大計を達成させるには、最初の十日間の計画行動が最も大事になります。スポーツでも基礎が確りしていないと大きな成長は望めないように、何ごとも最初が肝心であります。

六月は、是非この3・7・10の十日間の行動に重点をおいて実行して下さい。その十日間を積み重ねることができれば、まずは三ヵ月後に「良かった」という答えが得られます。更に十ヵ月後は「本当に良かった」と実感できます。また、付加価値として先見性も育つて行くことになります。

 

養生の知識

貝原益軒(養生訓より)

『五 思』 

ものを食べるときに考えなければならないことが五つある。それを五思という。

一つは、この食は誰から与えられたのかを思わなければならない。幼いときは父によって与えられ(中略)兄弟、親戚、あるいは他人から養われることもあろう…その恵を忘れてはならない。

二つは、この食は農民の苦労によって作り出されたことを思わなければならない。忘却してはならない。自分で耕作しないで、安楽にしていながら養いを受けることができる。その楽しみを思わなければならない。

三つは、自分に才能も備わった徳もなく、さらには正しい行いもなく、君主を助け、人民を治める功労もないのに、こうした美味しいものを食べることができるのは、ひどく幸せであると思わなければならない。

四つは、世間には自分より貧しいひとが多い。その貧乏な人びとは糟や糠でも有難く食べている。ときにはそれすら食べられずに飢え死にする者もいる。自分は上等なおいしい食事を十分に食べて飢餓の心配はない。これは大きな幸福というべきであろう。

五つは、大昔はまだ五穀(米、麦、粟、豆、黍)はとれず、草木の実と根や葉を食べながら餓えをまぬれていた。そののち、ようやく五穀がとれるようになっても、まだ火を用いて食事を調理する方法を知らなかった。釜や甑(のちの蒸篭)もなく、食べ物を煮て食べなかった。生でかんで食べたので、味もなく胃腸をそこなうこともあったのであろう。

 

いまは白い飯を軟らかく煮て、十分に食べ、しかも吸い物があり、惣菜があって朝夕の二回にわたって十分に食べている。そのうえ酒があって心を楽しませ、気血をたすけている。

朝食や夕食をするたびに、この五思の中の一つでも二つでもよいから、かわるがわる思い起こして忘れてはならない。そうすれば、日々の楽しみもその中にあることに気づくであろう。これは私の私見(臆説)である。ただここに記したまでである。

 

六中観について

六中観 (りくちゅうかん):『安岡正篤作』

一、忙中閑あり  「ぼうちゅう かんあり」

一、苦中楽あり  「くちゅう らくあり」

一、死中活あり  「しちゅう かつあり」

一、壺中天あり  「こちゅう てんあり」

一、意中人あり  「いちゅう ひとあり」

一、腹中書あり  「ふくちゅう しょあり」

※脇屋解説(毎月一項づつ6回で解説をいたします)

 

一、忙中閑あり 

「忙しい、忙しい…」というのは、行動に計画性がないからだといわれている。字義からみても「忙」という字は「心」と「亡」からの合体字で、すなわち「心が死んでいる」という字義になる。

そこで「忙中閑あり」という意味ですが、忙しい…忙しいだけではなく、「閑あり」それは“閑をつくりなさい”ということを教えている。

「閑」を辞書を引くと「ひまなこと」「仕事がないこと」とある。だから、仕事をしないで「考える時間」をとる「計画や段取」ができる時間をとることが「閑」ということになる。

例えば、8時間の仕事をするには、90分は思考・計画・段取の時間に当てないと、好い効果のある仕事はできないと考えるとよい、しかしその90分は、8時間の中でとるのか、または8時間外でとるのかは、それぞれの考えで自由である。

このように「忙中閑あり」とは、物事を進めるときは「忙しい」だけで終わらないように、成果を治めるには、思考・計画・段取りが大事となる。

 

人間学

二宮尊徳翁の訓えより

『学問修行の眼目』

師はこういわれた。仏教信者も釈迦がありがたく思われ、儒者も孔子が尊く見えるうちは、よく修行すべきだ。修行して最高の地位にたどりつければ、国家を富ませ、世を救う以外に道はなく、世の中に益のあることを勤めるほかに道はない。

これは、たとえば登山のようなものだ。山が高く見えるうちは勤めて登るべきだが、登りつめればほかに高い山はなく、四方すべて眼下になるようなものだ。この場にいたれば、仰いでいよいよ高いのは天だけである。ここまで登ることを修行といい、天のほかに高いものがあるように見えるうちは、勤めて登るべきだし学ぶべきである。

 

『利己と貪欲が国を亡ぼす』

師はこういわれた。国家の衰亡は、国民がお互いの利益を奪い合いすることがはなはだしいためである。富者はこれで十分ということを知らず、世を救う心もなく、十分である上にもさらに追い求めて、自分勝手な工夫をし、天地の恵も知らず、国の恩も思わない。

貧者はまだなんとかして自分の利益を得ようとするが、よい智恵もでないので、納めるべき村費をとどこおらせ、出すべき小作米もださず、借りたものを返さない。貧富ともに義を忘れ、願っても祈ってもできがたい工夫ばかりして、利を争い、その見込がはずれたときは、破産と言う大河の悲しい境遇に沈むはめになる。

この大河を覚悟して入るときは、溺れ死ぬまでのことはなく、また浮び出ることも、向こう岸に泳ぎつくこともあるが、覚悟なくしてこの河に落ちる者は、再び浮き出ることができず、身を終わる。

 

小学を学ぶ

中国古書『小学』より

楊文公の家訓にいう。

『少年の学問は単なる記憶や暗誦だけではなく、その良知・良能を養わなければならないが、それには、先人の言が大切である。よって、古今を問わず、日日、歴史的事実をおぼえさせる。それには必ずまず孝弟・忠信・礼儀・廉恥など、徳性を養うに足る故事、たとえば、黄香が暑中に親の枕席を扇いで冷やしたこと、陸席が袁術の所に客となり、出された蜜柑を懐に入れ母に献じようとしたこと、楚の為艾が両頭の蛇を殺して陰徳を積んだこと、孔門の子路が親のために米を遠方から背負って来た話などを、世俗の物語のように、やさしく興味深く教えて、道理を理解させるのである。これを久しくやっていると、無理がなく、良知良能本来
の姿のままで、その徳性ができ上がるのである』

 

※解釈
●橘(たちばな)=みかん
●楚=国名
●陸席(りくせき)・袁術(おんじゅつ)・黄香(こうか)・為艾(いがい)=人の名前 

 

※脇屋の一言と

小学校時代の勉強は、知識を身につけるだけではなく、本来の徳性(人柄)を磨くことを忘れてはならないと、譬えを示して教えたが上記の文である。 

初に、黄香は「暑いときは、親の枕元をあおいで涼しい風をおくり、寒いときは身体で掛け布団を温めたと話している。

次には、陸席が六才のとき、袁術の家を訪ねて行ったとき、袁術が陸席に三個の蜜柑を出した。しかし、食べずに懐に入れて持って帰った。「お客に来て食べずに持ち帰るとはどうしたことか」とたずねると「彼は帰って母にやろうと思ったのです」と応えたので「感心した子供だ」と讃えたいう話。

また一つは、為艾が子供の頃、両頭の蛇に逢い、これを殺して埋めて家に帰って泣いていた。母がそのわけを聞くと「両頭の蛇を見た者は死ぬと聞いたので、母と別れるのはつらいから泣いている」と応えた「その蛇はどうしたのですか」と聞くと「他人がまた逢うといけないので殺して埋めた」と応えたので、母は「陰徳ある者には天は福をもって報いる。お前は死なずにすむだろう」と言った。

こんな話しを小学の時代に、機会あるたびに何回も何回も聞かせておくと、自然と、人としてのあるべき姿、いわゆる人間としての徳性、自己の人格が無理なく形成されてゆくものであると教えられている。

このようにして、学校での知識の詰め込みだけでなく、良知・良能を鍛えることを忘れてはならないことをこの文で学びたい。

 

随筆

「死んでもいいから、元気でないといかん」と長崎の田舎に行ったとき、おじさんがよく言って笑わしたものでした。そのおじさんも今は天国に帰ってしまいました。

「死んだらあかん、でも、元気でないとあかん」と言ってあげればよかった。多分、死んでも元気に天国で活躍してるかも……と思いたい。

昨年暮れに風邪をこらしたのが原因で、微熱がつづき体調を大きく狂わせてしまった。 「風邪だけはひかなきょうに…」と常々担当医から指示をうけていたのに、不注意だったと思っている。結果には何事にも原因があるように、体調を崩す原因はあった……毎日、私は朝10時頃に事務所に出て、仕事が終える時間は18時にしていた。

しかし、この時期無理をしていた。

 

ある日、寒気がするのに、大丈夫、大丈夫と過信をして21時まで毎日のように頑張っていた。

ある夜中、熱が下がらず、救急で大阪労災に駆け込んだ。急いで緊急処置をうけ、翌日、担当医に診断をうけ、その後CT検査・血液検査・点滴治療と矢継ぎ早に治療をしていただいた…が簡単には治らなかった。

それから三ヶ月間、吉川部長医師が、点滴治療や必要と思われる検査を指示され、病原の追求をして下さったが、結果は無理しすぎが原因、ということで終わった。

そのほかにも原因があるようだ。それは、昨年10月で満80歳になったことだ。昔から八十の山を越えるのが難しいと言われている「そうだ…そこだったのか…」と、肉体の変化時期であったことも、大きな原因のようである…と後悔先に立たずであった。

四月に入って完全回復となった…私の目標である、今から10年間…元気で活躍できるように健康に十二分の配慮をするために、新しい健康管理をすすめようとしている…今の私である。

 

菜根譚

菜根譚(197引用)

『鷹の立っているようすは眠っているようで、虎の歩く姿は病み疲れているようである。しかし、これこそ、人につかみかかり、かみつく手だてである。これを見ても、君子たるものは、おのれの賢明さを外に現れないようにし、おのれの才能をやたらに振り回すことのないようにして、それで初めて大事を双肩に担って行く腕前があると言えよう。』

 

自然体

『特別なことでなくいいから自然で普通が好い』

相撲界で、横綱の態度が時折問題になっている。横綱は最高位にあるため、人間として人格というか人柄が要求されている。多くの目があるので、本人は解っているはず…。然し単純なことではない。

人格とは、自然に、それらしい風格が具わってこなければ本物ではない。ムリをして、つくり上げるのはよくない。普通にして、自然に形成されてこそ、その価値観が尊い。