「運命は自分でつくる」
人それぞれに運命は一応定められている。…というのは生れたときのことであります。例えば、生れながらにして○○社長の息子である。…このことは誰も取って変わることが出来ない事実であり、このことを宿命的運命というのであります。
しかし、この宿命的運命は安定したものではありません。息子が成長するまでに会社が倒産することもあり、
大きな借財を残して社長が死ぬこともあります。だから宿命的運命は将来の幸せをを約束されたものではありません。
最近、中央区に五百坪程の土地を整地して十二月からマンションの建築が始まろうとしている場所があります。聞くところによると、資産家の息子が受け継いだ資産だといいます。これが宿命的運命であります。しかし、この宿命的運命を覆すことがあります。
それは後天的運命であります。後天的運命とは、自分自身で作る運命のことであります。「運」とは、運送ということで、いわゆる物を運ぶ意味があります。したがって、運ぶとは、動いてる状態、すなわち、努力している行動体を表わしているのが『運』ということであります。したがって、運命を自分で作るには「運」すなわち自分自身の努力の如何によって運命が変化することになります。
「善因善果、悪因悪果」という言葉があります。努力して人々に喜んでもらえるような善い種を蒔けば、運命はよい方向に進んで行きますが、悪い種を蒔くと運命は悪い道に入ってしまいます。そういうことが哲理であります。
しかし、世の中は厳しいものですから、善い考え方をしたからといっても、直ぐにその結果が出るわけではなく、一年後かまたは三年後かも分りません。悪い考え方で行動しても同じことが言えます。直ぐに結果がわかれば誰だって努力を惜しまないと思います。
でも、直ぐにその結果が出ないから「因果応報」だ、なんていわれても、「はい、そうですか」とは素直に受け止めにくいことであります。しかし、現実には、後になって「ああしておけばよかった」とか、「もっと努力しておくべきであった」ということはよくありがちです。だから、そのようなことのないように、過ぎた日に悔いることのないように、日々努力を重ねなければ、よい運命には出会わない。