「未分類」カテゴリーアーカイブ

小学を学ぶ

「小学を学ぶ」

蜀の先生がもう駄目だ(死亡する)と知った時、その子の後主に勅した言葉に、
悪い事は小さなことであるからとて、してはならない。善い事は小さなことだからといって、それをしないようなことがあってはならない」とある。
諸葛孔明がその子を戒めた手紙に、
君子は、平静をもってその身を修め、倹素をもってその徳を養うのである。倹素でなければ、欲望が多く、心の淡泊さを失い、君子たる志を明らかに保つことができないし、心身の平静を失っては、遠大な事業を成し遂げることはできない。
人は才能を学問によって磨かなければならず、学問には心の平静が必要であり、学問はそれによってのみ成就する。もし学問を怠り、心の落ち着きと平穏さを欠くならば、どうして、精妙な道理をきわめ、性格をりっぱにつくりあげることができよう。
かくて、何一つ成しとげないうちに、いつしか年を取り、学問事業への意欲も年々に衰え、しまいには枯れ果てた一老骨となり、貧相な家屋にくすぶって悲しみ嘆いてみたとて、間に合うものではない
」とある。
 

※脇屋所見
「これ位のことは…」と思って、些細なことを見逃したり、見捨てたりしていると、やがては物事の崩壊につながる。善・悪の小さい事ほど見え難いので疎かにしてはならないことをの文面は戒めています。
の文面では、倹素、即ち、「倹約」「質素」に重点をおいて行動をしないと、大事業を達成させることはできない
ことを強く強調している。しかし、現在は生活上では平等になり、倹素の境界線が不明瞭な気がします。
しかし、考えなければならないことは、分相応ということである。家庭生活も、会社運営も人・モノ・金・に対して、
自己の器の分限とそのバランスをよく弁えて事をすすめないと、物事は成功しません。

 

 

養生の心得

(貝原益軒 養生訓より)

 

食当りと絶食

食当りのときは絶食がよい。あるいは食べる量を日頃の半分に減じ、または三分の二にまで減じてもさしつかえない。食べ過ぎのときは早く入浴するとよい。

魚や鳥の肉、魚や鳥の干塩(干物)、生野菜、油っこいもの、ねばっこいもの、堅いもの、もちやだんご、そして菓子類などを食べてはいけない。

 

消化不良と朝食ぬき 

朝食がまだ消化しないうちは、昼食をしてはならない。点心(茶の子、つまり茶うけの菓子)などを食べてはいけない。昼食が消化しなければ夜食をしてはいけない。昨夜食べた食物がなおとどこおっていたら、朝食をぬくがよい。もしくは半減し、酒や肉を絶つこと。

とにかく食あたりを治すには絶食がもっともよい。絶食すれば軽い食あたりなら薬を用いないでも癒る。

養生の道を心得ないひと、また知識がない人は、食がとどこおっている病気にも早く食事をすすめるから病気が重くなる。ねばっこい米湯などはことに害になるものだ。むやみにすすめてはならない。

病気の症状によって、とくに食当りの病人は、1、2日絶食してもさしたる害はない。邪気がとどこおって腹がふくれているからである。

 

穀物と肉類

煮すぎて味を失ったものと、まだよく煮えていないものを食べてはいけない。魚を煮るときは十分に煮なければ悪い。煮すぎてその香味を失っては味もなく、しかも胸にとどこおりやすい。ほどよく煮ることである。蒸した魚はそれが長くなっても煮えたての味を失わない。魚を煮るのに水を多くしては味をそんじてしまう。