生命ある動植物のすべては、必然的システムの中で生存しています。野性に生息している動物などは、その限られた山中で食べるものを探すだけに生きているようなものです。最近では、その食料も尽きはてて町に出没し、食べ物を探し求めるようになっています。また、人間によって飼育されている動植物などは、その良否は別として、人間の思うままに生かされているというのがその現実です。
こうした地球環境のなかで、人間だけが与えられた能力をもって自由奔放に分限もわきまえずに活動をして生きています。その結果として、地球の温暖化と共に、人間的常識も大きく狂いだしています。
先には、長崎で射殺事件が起きています。「自分の思いが通らなかった」という勝手な理屈で起きた事件です。愛知では息子と娘を討ち警官も射ち殺す。こうした事件は毎日のように各所で起きています。
「人間として、してはいけないこと」が意識されていないからこんな行為が増えているのです。「このときは、かくあるべきである」といった、人間としての常識的行為の指導が十分なされていないからであります。
最近の子ども達をみても、家庭で正しく躾けられていない子ども達が増えています。子どもたちの行為を見たり言葉づかいを聞いたりしていればわかります。「子どもは、かくなければならない」という、家庭での常識的教育が徹底していないことが挙げられます
最近になって、政界で国民の経済的格差が広がっている。と大きな声を上げて論戦しているが、人間的、精神的格差の調整の方が、それ以上に大事ではないのかと思うのが現在の人間社会であります。
地方の経済的格差も整えなければならないが、もっと大事なことは、人間的成長、人間的格差を無くすことが先決問題であると思います。それは人間的安定という基礎の上に経済がのらないと、真の人間社会の安定はないからであります。
経済的格差は、それぞれの限界能力において考えなければ公平にはなりません。単に社会的責任に置きかえることは間違いであります。それは、例えば幼い子どもに百万円与えても使途が判らず、役に立たないといったようなものであります。
経済的不均等な格差が生じるのは、「政治家」「事業家」「指導職」「人間の先輩」等々のなかで、人間として、専門家とし、「それぞれの正しい道」を行い、行うだけでなく、正しく後輩や子ども達に伝達しなかったことが、あらゆる面での格差が生じた一つの大きな要因であることに責任を感じなければなりません。
その要因を取り除くためには、正しい「人としての道」を学び、行い、正しく伝えていかなければなりません。そこで「人道とはかくあるべき」という道を、参考文献などの文章を選んで辞典の役割を果たして、人々の一寸した日常の行為の中での役に立つことを願っています。