海水の入った桶を天秤棒の両方にかけ、肩で担って塩田に備え付けられた大きな桶に注ぐ、この作業を何回も繰り返して桶に海水を満たす。
写真は、溜めおいた海水をそれ用の卵型のような桶で汲んで塩田に散水している風景を前田氏が撮影したものである。
説明書によると『「揚げ浜式製塩法」といって塩田に桶で運んだ海水をまき、塩分を含んだ砂を集めて、箱の中に入れます。その上から海水を流しこみ、濃い海水を取り出し、釜で炊き煮詰めて塩をとる製塩技術です。
この作業は大変な重労働で、まさに手塩にかける〝塩〟の語源もこれより発生したものと思われますとあります。
ここ能登半島での「揚げ浜塩田」の製法による塩作りの歴史は古く、八世紀頃より行われていたと伝えられています。現在でも、ここ珠洲市の仁江清水海岸では今も行われていて、日本では唯一の先の製法によって塩作りが続けられています。
そうした説明書を読みながら、目の当たりにする塩田風景の原始的な作業が、今も残っていることに感動を憶えた。
その隣には作業場や資料館があり塩を焚く釜土が据えられていたり、作業を体験することができる塩田も設置されていて、この日も体験をしている人たちがいた。
ここを出て海岸通りを走ると「千枚田ポケットパーク」という所があり車をとめた。案内板を見ると「奥能登の最高峰である高州山の裾野に沿って、海岸沿いに小さな水田が階段状に無数に広がる。その数二千を超える」と案内があります。
一枚あたりの平均面積は畳約三枚分と驚くほど小さいのが特徴で、田植えのときは機械などが使えないために、田植え作業はすべて手作業という。
この高台から海岸に広がる「白米千枚田」は今実りの最中であるが、九月に入れば金色のように稲穂が垂れ下がる。と、風景を思い浮かべた。